樹木希林さんの自宅住所はどこなのでしょうか?自宅がレストランになっているとの情報もありますが、とある番組で紹介されていた建築家が設計したインテリアの豪邸とは違いましたね。世田谷区という噂と目黒区という噂があります。
どういうことなのでしょうか?調べてみました。
樹木希林さんと内田裕也さんの出会い
ふたりの出会いは1973年5月のこと。樹木希林さんが出演していたTBSドラマ「時間ですよ」の収録スタジオを、たまたま同局にいた内田裕也さんがのぞいたのがきっかけだそうだ。
当時「悠木千帆」と名乗っていた樹木希林さんと意気投合し、同年10月10日に東京都中央区の築地本願寺で挙式した。2人ともジーンズという型破りな結婚式だったという。
だが、その後、1976年2月、暴力を振るう内田裕也さんに、長女也哉子を身ごもっていた樹木希林さんが恐怖を感じて別居。
81年には内田裕也さんが一方的に離婚届けを区役所に提出するものの、樹木希林さんは無効訴訟を起こし、東京家裁で1年の争いの末に樹木希林さんが勝訴。
その後35年にも及ぶ別居の末、最近になってようやく同居するようになったらしい。
一昨年希林が全身癌を公表したこともふたりの生活に変化をもたらしたのかもしれませんね。
樹木希林さんの元の家はレストラン?
樹木希林さんが常連として通うフレンチレストラン「エピスカネコ」。港区西麻布にあるのですが、ここはなんと樹木希林さんの元自宅だったそうです。
屋上ではシェフ自ら野菜を栽培されていて、金子シェフの心のこもった料理が樹木希林さんのお気に入りだそうです。
金子シェフがレストランの物件を探していた時、たまたま引越しの最中だった、樹木希林さんは金子シェフに、ここでレストランをしてみてはどうか?と提案したそうです。
内装は調理施設以外は樹木希林さんが住んでいた状態のままだそうです。希林さんがここで食事をする時は自宅で食べているかの錯覚を起こすかもしれませんね。
樹木希林さんの自宅は二世帯住宅
樹木希林さんの自宅の場所は噂では、世田谷区だという意見もありましたが、実は樹木さんの自宅があるのは頭にMの付く目黒区の青葉台であることが判明しています。
このことは、2016年5月20日放送の「ぴったんこカン・カン」で樹木希林さんの家から半径500メートルの旅という企画で、目黒区青葉台でのロケをしているので、間違いないと思われます。
黒川哲郎さんという有名な建築家が設計したそうで、かなりおしゃれな自宅なのだとか。
樹木希林さんの娘婿は俳優の本木雅弘さんですが、その娘夫婦の自宅をリフォームし、現在は二世帯住宅だそうです。一階が樹木希林さんの自宅で、その上には娘さんの家族の住居スペースになっているようで、お互いの住居にはエレベーターでつながっているようです。
このリフォームをする頃には、すでに別居を解消し内田裕也さんとも同居していたそうです。
室内はコンクリートの打ちっぱなしになっているが、和風なデザインを取り入れているので無機質な仕上がりにはなっていません。アンティークな家具を置くことにより、和風と洋風がうまくマッチしています。
樹木希林は芸能事務所に所属していない
樹木希林さんは芸能事務所に所属してないので、お仕事の依頼は携帯電話、それも留守電で受け付けているとか。「そう、基本料金1820円ぐらいだけ、毎月」。仕事の依頼は留守番電話のメッセージとFAXで受けているそう。
また、留守電の再生メッセージがおもしろいのこと。なんと「過去の映像等の二次使用はどうぞ使ってください」というアナウンスが流れるそうです。
樹木希林さんは肖像権などの権利を主張しないとのことでした。

樹木希林の若いころ
若い頃の樹木希林さんは、薬剤師を目指していましたが、大学受験直前にスキーで足を怪我し、大学進学を断念しました。元々演劇部に所属していたのもあり、1961年に文学座付属演劇研究所に入りました。
その時、悠木千帆(ゆうき ちほ)の芸名で活動を始めました。
若い頃から老人の役を演じ、出演するドラマ、映画などでは老け役が当たり役だったそうです。そして老人の役を続けるうちに、年齢に役柄が合うようになったそうです。
若い頃の樹木希林の顔も、年取った現在の顔も、同じような笑顔で素敵ですね。
樹木希林は、若い頃の芸名「悠木千帆」を売った?
特別番組「テレビ朝日誕生記念番組・わが家の友だち10チャンネル・徹子のナマナマ10時間半完全生中継」の中のオークションコーナーで、売る物がないとの理由で芸名の「悠木千帆」を競売にかけました。この発想が、樹木希林らしいですよね。
そして1977年から、樹木希林になったのです。
おばあちゃん役としての足掛け「寺内貫太郎一家」
寺内貫太郎一家 (1974), 小林亜星さん 当時42歳, 悠木千帆さん(現 樹木希林) 当時31歳
樹木希林さん(悠木千帆)は、小林亜星さんが演じた主役の貫太郎の母親役を演じました。
まだ30歳前半だった樹木希林さん(悠木千帆)が、自分より年上の小林亜星さんの母親役をしたのです。そのために、色々と努力もしていたようです。
当初、おばあちゃん役ならセリフも少なく、行動も慎ましやかだと思って受けたそうですが、なんとこのおばあちゃんは「はっちゃけて」いました。
ジューリーこと沢田研二さんが大好きだったおばあちゃん。ポスターを眺めて「ジュリーィィィ!!」と腰を振りながら悶えるシーンが話題となりました。亭主関白の小林亜星さんのちゃぶ台返しは毎回のこと。今は亡き西城秀樹さんも出演していました。
郷ひろみとのコラボ 「林檎殺人事件」
1977年「ムー」時代の樹木希林さんと郷ひろみさんの画像です。
「林檎殺人事件」がヒットしました。






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