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双浦環のモデルは三浦環!朝ドラエールの実在オペラ歌手とは?

ドラマ&映画

NHK朝ドラ第102作目となる「エール」。柴咲コウさん演じるオペラ歌手の双浦環は実在する人物、三浦環さんというオペラ歌手だった。双浦環と三浦環さんについて調べてみました。

「エール」における双浦環はどんな人?

柴咲コウが演じる双浦環は世界的に活躍するオペラ歌手。

窪田正孝演じる主人公古山裕一の妻、二階堂ふみ演じる関山音にプロの歌手を目指すきっかけとなる人物で、のちに音と裕一に大きな影響を与える存在になります。

では、双浦環のモデルとなった三浦環さんのプロフィールと経歴を見ていきましょう。

三浦環のプロフィール

本 名:柴田 環(しばた たまき)
歌手名:三浦 環(みうら たまき)

生年月日:1884年2月22日(明治17年)

死 没:1946年」5月26日(62歳没)

出身地:東京府東京市京橋区

学 歴:東京音楽学校(現:東京芸術大学 音楽学部)卒業

職 業:歌手

ジャンル:オペラ

「グローヴ・オペラ辞典」は世界的に最も権威のある音楽文献として知られていますが、その中で日本人としてただ一人、三浦環の名前が掲載されています。

3歳の頃から日本舞踊を、6歳の頃から長唄を習い始める。

1900年(明治33年)に東京音楽学校に入学し、ピアノを瀧廉太郎、声楽を幸田延に師事。
ヴァイオリンはアウグスト・ユンケルに師事。

 

父親の勧めで入学直前に陸軍三等軍医正、藤井善一と結婚(1907年離婚

1903年(明治36年)7月23日、日本人の手による初めてのオペラ公演に出演し、成功を収める。

卒業後、奨学金を得て研究科に入ると同時に授業補助として声楽を教えるようになり、その後、助教授となる。

1911年帝国劇場に所属して、1912年3月レコードを初吹き込みし、プリマドンナとして活躍を続ける。

 

1913年三浦政太郎柴田家の養子)と結婚した後、夫とともに1914年にドイツに留学するが、第一次世界大戦の戦火を逃れてイギリスに移動。

1915年のイギリス・デビューの成功を受けて同年に渡米し、ボストンで初めて蝶々さんを演じる。

パレルモで『蝶々夫人』自身出演2000回目を達成し、これを機に永住帰国を決断し、1935年11月に帰国。日本国内で、オペラへの出演やリサイタル開催、レコーディングなどを行う。

1945年、終戦から4か月後の12月に日比谷公会堂にて、リサイタルを開く。

 

1946年5月26日、膀胱がんのため永眠。

流行歌「船頭可愛や」

朝ドラ「エール」では、主役・古山裕一のモデルと言われる古関裕而さんが作曲し、三浦環さんが昭和10年(1935年)にレコードに吹き込んだ流行歌「船頭可愛や」なども、実際に柴咲コウさんによって歌われるそうです。

三浦環さんの音源をどうぞお聞きください。

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