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広末涼子のcmネットで賃貸chintaiのアフレコは誰?「ポケベルの子」から有名に!

エンタメ

ネットで賃貸chintaiのCMに広末涼子が出演されていますが、でも声が全然違いますね。
関西弁だし・・・この声は誰なのでしょうか?
CMと言えば1996年「広末涼子、ポケベル始める」と流れたNTTドコモのCMで、高知県出身の少女が「ポケベルの子」と言われるようになり、その名を全国にとどろかせた。
 

広末涼子 ネットで賃貸chintaiのCM

賃貸CMの広末涼子のアフレコは誰?

賃貸CMで広末涼子さんの声のアフレコを担当したのは、お笑い芸人のゆりやんレトリィバァだった。

しかも、よく聞いていると、なんと広末涼子は英語を話しているんです。
ゆりやんのアフレコとは全く違うことを言っているのでしょうね。

NTTドコモ「ポケベルの子」

広末涼子曰く「あのCMで名前と顔を知ってもらったのは間違いない。本当に感謝しかないです。どうしてあんな名前も知られていない、ただの高校1年生の女の子の名前が大きく新聞の広告に出たのか?すごく運命を感じています」とのこと。

「デビュー直後は、『似ていると言われます』『近くにいそう』とよく言われました。そういう部分ではもしかたら、特別なザ・女優やアイドルではない親近感が受け入れられたのかもしれません。今の女優や若手の女の子を見ていると、やっぱり洗練されています」
 

広末涼子 早稲田大学へ入学

「大学入学後、想像以上に反響が大きかった」
1999年、早稲田大学への入学は社会現象となり、多くのマスコミや学生が大学に集まった。2003年、結婚と産休のため、芸能活動を休止した。
「大学入学後、想像以上に周りの反響が大きく、色々な声も聞こえてきた。イメージとのギャップをどう埋めていこうかと悩んで初めて壁に当たりました。今は埋めなくてもいいと思うのですが」

「ひとまず自分がいる世界から離れてみようと思いました。女優さんの仕事の負荷がかかりすぎているなと感じました。例えば作品を選ぶとき、自分が出演する意味や作品のメッセージ性を考え、それらがなければ意味がないと思い込んでいました」

「アウトプットするばかりで、インプットする時間がない日常が何年も続いてしまい、不安でした。外から自分がどう見えているのか、自分が見えなくなっていました」

広末涼子 休む前はどんな状態だったのか?

「一番大きかったのは、自分はこの仕事を好きで始めて、見るのが大好きで、自分もやってみたかった。やってみてその完成作品を見るのも楽しかったし、他の作品を見るのも楽しかったのに、見ている時間さえなくなって、迷路の中にいるような感じになっていた」

「好きであることを忘れて、やらなければという責任感とか負荷ばかりがかかって、よろいみたいに重たくなってしまい、本末転倒だった。なんのためにやっているのだろうと、強迫観念の中にいました。それでお休みさせていただきました」

広末涼子は一般人として見るドラマ、映画

「自分が芸能人として出る立場で見るのではなく、視聴者、一般人として生活の中でドラマを見たり、映画を見たりしました」

「すると、良い意味で私が思っていたほどみんな考えてないと気付きました。そこまでメッセージを受け取っているかわからないし、それよりもただほんわかしたドラマや、ちょっと笑えるような作品に癒やされたり、感動したりするんだと思いました。そのとき、私がすごく凝り固まっていたんだなって思いました」
 

広末涼子が2年間で得たものとは?

「改めて思ったのは、セルフプロデュースするようなことは私には向いていないことです。それは自分の視点でしかないので。もちろんマネジャーさんが考えてくれることですし、世の中や同じ職業の方、オファーしてくださる方が私に何を求めているかの方が大事だと思いました」

「そこに身を委ねるというか、臨機応変に、まっさらでいることでいろんな色に変われたら女優さんとしてはいきてくる。年を重ねると共に役の幅も広がってくる。人生とか家族とか子育てに向き合うことで、本当に文字どおり取り戻せたなという2年間でした」

広末涼子にとって「おくりびと」とは?

復帰後は「おくりびと」「ゼロの焦点」などの話題作で、日本アカデミー賞優秀主演賞を受賞。演技派女優としての地位を確立しました。
「『おくりびと』ではアカデミー賞に行ったことなど初めての経験がたくさんありました。

『おくりびと』は語弊があるかもしれないが、誰も期待していなかったと思います。『おくりびと』の本はすばらしかったですし、監督の滝田洋二郎さんとは『秘密』でご一緒させていただいて、また呼んでいただけるだけで二つ返事で受けさせていただきました」

「パッケージ感としては黒とかグレーの葬儀のイメージだったのですが、できあがったらまさかのピンク色になっていました。あれは本当に滝田さんのすごい感覚だなと」

「すごくまじめなところに実は人間の滑稽さがあったり、あんなに感動させられる内容なのに滝田さんのシャイさが出たり、泣かせに押さない。笑いがあったり、泣かせにいくところでぷちっと切っていたりするのですが、あのような演出が広い世代や海外の方にも受け入れられたんだなと。本当に予想外でした」

広末涼子のプロフィール

本 名:廣末 涼子(ひろすえ りょうこ)
生年月日:1980年7月18日(38歳)
出生地:高知県高知市
身 長:161cm
血液型:O型
事務所:フラーム
配偶者:廣末 順(Candle  JUNE)

1990年代後半に「ヒロスエブーム」を巻き起こし、ややボーイッシュな中性的イメージで当時のグラビア界を席巻した。

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